橘木俊詔「格差社会―何が問題なのか」

岩田規久男「「小さな政府」を問いなおす」(→こちら)と異なる立場の主張として。こちらも全体像が整理されており、文章もこなれていて読みやすい。基本的なデータも上がっている。全体を通して目新しい話は少ない。それぐらい基本的ともいえる。本テーマのおさらいとしてお薦め。


格差社会―何が問題なのか (岩波新書)

格差社会―何が問題なのか (岩波新書)


あとがきにあるとおり、(1)格差拡大は進行中、貧困者増大中、(2)日本では経済効率を犠牲にせず、機会と結果の双方において格差是正策を採用可能、(3)格差是正の基本は教育、社会保障、雇用の分野にあり、が主旨。格差に対する倫理的な許容レベルに違いはあれど、結局今後の処方箋自体はあまり変わらないんだよね。岩田本との違いは財源の認識で、岩田が構造改革(による無駄な支出の削減)、リフレ政策で財源確保可能とするのに対して、こちらは国民負担率を上げざるをえないという主張。両者とも、具体的な福祉レベルとそれに必要な財源の大きさ、そしてその捻出方法(具体的な税率含む)について、本文中で詳述していないため、なんとも判断できない。次のステップとして、その辺を突っ込んだ議論が出てくるといいのになぁ、と思う。

参考

後藤和智「『若者論』を疑え!」

今の「若者」をイメージする参考として。のっけから、盟友の本田由紀氏とのメタな対談に苦笑。本対談で「言い訳」しているように、この本は自説を主張しようとするものではなく、世の中に流通する根拠のない言説を批判する主旨の本なので、他の方の書評でも目につく通り、食い足りない印象はある。巷の言説状況の概観はできたのかなという印象。パラパラと著者の本音のようなもの(現在の状況は、「若者」の精神的な問題ではなく、経済的な問題であるといったもの)が出てくるのだが、本書の特性上、それが実証的に示されてるわけではないので、「それじゃ同じ穴のムジナだろ」と突っ込むこと時折。まぁ、若さゆえの前のめり加減はご愛敬。

「若者論」を疑え! (宝島社新書 265)

「若者論」を疑え! (宝島社新書 265)

岩田規久男「「小さな政府」を問いなおす」

政府・行政のあり方が、戦後から現在まで、どのように変化してきたかについて、政府の「大きさ」の観点から、世界的な視野を持って、経済的、政治的、思想的背景を踏まえて簡潔に整理されている。新自由主義の先駆けとしてのイギリス、福祉国家の代表としてのスウェーデンなど、他国の状況も具体的な説明がなされている。因果関係も必要十分にまとめられており、非常に読みやすい。内容の妥当性も、一般的に受け入れられているレベルと感じた。全体像の把握に最適。良書。お薦め。

著者の基本的なスタンスは、「小さな政府」を肯定するもの。実現の過程で、地域・収入格差など問題あるものの、それらへは適宜よりベターな方向へ微修正を加えれば良い、といったとこだろうか。加えて、妥当なレベル(年率1〜2%程度)のインフレ率を実現する金融政策(いわゆるリフレ政策)を主張する。

おおむね同意。

詳細、論点は、他の方のレビュー(ラスカルさん、Yasuyuki-Iidaさん、bewaadさんなど)を参考のこと。


「小さな政府」を問いなおす (ちくま新書)

「小さな政府」を問いなおす (ちくま新書)

佐藤優「国家の罠〜外務省のラスプーチンと呼ばれて」

移動中など合間合間に時間を見つけ、ようやく読了。1か月ぐらいか。長かったなぁ。

一般には知られざる外交の世界。その中のプレイヤーについて、単なる行動の記録ではなく、何のために、どのように考えて、その行動に至ったかまで踏み込んだ内容となっている。よって、おもしろくはあるのだが。一方でふーん、という感想しかないのも正直なところ。

裁判中だからだろう、「全てにおいて自分に間違いはない」というスタンスで書かれており、それが私には興ざめする原因であったように思う。ま、だとしても力作なのは確か。お薦め。


国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

佐藤優、手嶋龍一「インテリジェンス 武器なき戦争」

おもしろくないわけではないのだが。他の人のレビュー以上の感想はない。こういう世界があるんだなぁ、ということと、互いを持ち上げ続ける感じが嫌だなぁ、ということ。


インテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)

インテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)

佐々木信夫「自治体をどう変えるか」

読んだ。論点は広く押さえられてる、って感じかな。新書という制約もあり、各種提言については実現性の説得力を欠く印象がある。

自治体をどう変えるか (ちくま新書)

自治体をどう変えるか (ちくま新書)


住民が直接触れるサービスの先進事例、新しい可能性に興味があり手に取った。しかしこの本の主題は、サービス内容自体ではなく、それを提供するための仕組みの改革にある。

一言で言うと、今後の方向性は「分権」。そしてその実現要件として、自治体自らによる政策立案能力の向上が主張される。

各種提言(例えばNPO活用や特色ある地方作り論)については、楽観的、理想論に過ぎる印象がある。新書のボリューム上の制約もあり、実現可能性、運用した際に発生するであろう課題についての深い検討がないため、一見リアリティを感じないからだ。

私自身は、本書でいうところの先進自治体に住んでいる。そのため、本書で先進事例として挙げられている事柄のいくつかはすでに実現されており、それも本書が強い印象を残さなかった理由と思われる。

 

三土修平「頭を冷やすための靖国論」

映画「靖国 YASUKUNI」公開記念。何度この道を通れば気が済むんだ!と思いつつ復習として。

頭を冷やすための靖国論 (ちくま新書)

頭を冷やすための靖国論 (ちくま新書)


前著「靖国問題の原点」を、宮崎哲也が「断言するが、近年上梓(じょうし)された夥(おびただ)しい靖国関連書のなかで、読むに足る内容を備えているのは本書のみである。」と評しており*1、前著を踏襲しつつアップデートされたものだということでこちらを手に取った。

良い。特に靖国神社の創設から戦後現在の形態をとるまでの歴史的な経緯の記述が厚く、思想的、宗教的思い入れがない一般人にとっても受け入れられる、かつ本質的(と僕は感じました)議論がなされている。また既存の靖国論への目配せも、それらの評価と合わせ、かなり網羅的になされている。


だからこそ、いくつかもったいないなぁ、と思う点も。

(面倒なので引用はしないが)まず、事実と意見の区別が甘い。端々で価値判断につながる修飾が事実に付与されている(心情的には反靖国派に近いと思われる)。文章の基本だが、こと靖国関係は必要以上に厳密さが必要であり、この点は残念(そうでないと本書が批判する「イデオロギーと感情論に染め抜かれた主張の繰り返し」そのものなわけで)。

あとは見せ方としてもっと整理された表現がなされてると良かった。確かに本全体としては、論点や経緯がある程度網羅的に上がっている、と思う。しかし、一覧化がされていないので網羅感が弱いし、相互の関係が分かりにくい。最後にサマリとして、経緯と論点の整理ページがあると良かったのではないか。時間軸に対し、主なイベント、論点とそれへのスタンスの類型(謀略史観、せっかく史観の二元論はさすがに単純すぎるのでは?)および各論点の相互関係(本流と支流、表面的と潜在的など)が整理、模式化されてるようなページがあると良かった。


さて、(僕が読み取った)靖国問題の本質的な論点は、公共性と宗教性だという。

靖国派は、現在はGHQの戦後改革の一環で一民間宗教施設となった靖国神社を、宗教性を維持しつつ、日本人であれば誰もが従うべき公共の施設とすることを目指している。

一方、反靖国派は、その公共性をアンチ国家主義軍国主義の立場から、またその宗教性を信教の自由の立場から(政教分離は批判手段であり建前上のお題目)から批判する。

上記について、アンチ国家主義軍国主義の観点からの批判は説得力がない。公共施設があると国家主義軍国主義が復活するという議論は飛躍しすぎであり、直接の関係はない。国家主義軍国主義の抑止はもっと直接的な政治的仕組みの整備によりなされるべき問題だろう。ただ、宗教性は難しいよなぁ。


個人的なあるべきについて、現時点での見解をまとめておく。

戦没者追悼のための国家施設は是(追悼対象は戦没者だけでなくても良い。国家への貢献の観点で見直すことも可)。そしてそれは靖国神社が担うしかないだろう。これまでの戦没者については、常識的に考えて、事実上、靖国神社がその役割を担ってきた。そして新たな戦没者が当分出てこないだろうことを考えると(出てもらっては困るし)、その役割には靖国神社が妥当だろう。無宗教な新しい施設を設けるアイデアは、死者への冒涜、現世の人間の傲慢。また完全に宗教性のない死者の追悼施設というのは欺瞞としか思えない。基本的には神道を引き継ぐ形。

また原則一律の基準で該当者全員を合祀(A級戦犯問題については後述)。本人が他宗教の信者であっても国として祀るのはある意味勝手。存命ならば精神的苦痛の議論はあろうが、すでに亡くなっているわけだし。ましてや遺族の主義・信仰のいかんで出し入れされるのはおかしい(例えば本人と遺族の宗教が違ったら?また後日宗旨替えして再度祀って欲しいと申し出があったら?)

ただし、民間施設から国家施設に位置付けを変更する際に、あわせて靖国神社側にも変革が要求されよう。ひとつは歴史認識。これは国家としての公式見解に合わせるべき(現在の公式見解が良いと言っているわけではない。ベターな国民合意があってよいし、かつそれを国外へも粘り強く、かつ正確に理解を求める努力が必要だろう)。もうひとつ、A級戦犯合祀の問題は、合祀基準の再検討、国民合意を行う。仮にA級戦犯が対象外になった場合は、宗教的な実現可否の問題はあろうが、国家神道自体が歴史も浅く、またその形成過程が元々政治的なものでもあるわけで、その辺の形式的な部分は適当でいいんじゃないかな。感傷的ではあるが、現世の人が亡くなった方たちを祀る、自発的な感情が本質的だと思うし。

で、これが現実的かと。。。現実的には先送りかねぇ。


以下、参考

三土修平『頭を冷やすための靖国論』−梶ピエールの備忘録。
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20070122/p1

手頃なサマリ

政教分離原則−noraneko7の日記
http://d.hatena.ne.jp/noraneko7/20070214/1171504573

本での議論を起点として、政教分離原則を整理したもの。三土さん本人のコメントあり。「ステレオタイプイデオロギー的立論をひとまず相対化するところまでの作業は自分がやったから、その後の議論はこれからの若い人々の力量に期待したい、という気持ちが正直いって、あるためです。」