岩井紀子・佐藤博樹編「日本人の姿‐JGSSにみる意識と行動」

実証データにより、とかくあいまいに捉えがちな「日本人」が多面的、かつ具体的に浮かび上がる。お薦め。

日本人の姿 JGSSにみる意識と行動 (有斐閣選書)

日本人の姿 JGSSにみる意識と行動 (有斐閣選書)


JGSSとは、日本版GSS(General Social Survey)。大規模な社会調査であり、2000年から毎年行われている。国際比較も視野に入れつつ、日本社会の理解に不可欠な日本人の意識や行動の実態把握に主眼が置かれている。調査対象者の世帯構成、就業や生計の状況、両親や配偶者の職業、対象者の政党支持、政治意識、家族観、人生観、死生観、宗教、余暇活動、犯罪被害など広範囲の調査事項を網羅した調査となっている(詳細はJGSSのHPを参照→http://jgss.daishodai.ac.jp/japanese/frame/japanesetop.html

調査対象が幅広く、全体感、網羅感がある実証データである。自分が印象で感じていた部分を実際のデータと照らし合わせることで、自分の中での「日本人」象がより多面的、具体的に浮かび上がる気がした。特に、自分には普段ない視点・切り口や、自分と違うグループ(性別、世代等)の実態は興味深く、考えさせられるものが多い。

社会調査は、社会的課題の解決を検討するにあたり、不毛な印象論でなく、実証的な議論を行うために、その土台として必須なものである。しかし、マスメディアで報道されるものを含め、多くの「社会調査」において、調査手続きの不備や、恣意的な操作が行われているケースが指摘されており、社会調査自体の信頼が貶められている。結果として、学問軽視ともつながる、課題解決に対しての実証的、論理的追及の妨げになっていたのではないか。その点、本プロジェクトは、「『社会調査』のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ」等で上記の問題を指摘してきた谷岡一郎先生がリーダーを務めるものであり、調査手続き、質問票、ローデータまで公開されていることから、調査結果への信頼性は高く、非常に生産的な試みと思われる。

総花的な内容のため突っ込んだ議論、データの提供がないこと(男女別、年代別+アルファ程度)に物足りなさはあるが、本書の目的、値段を考えれば妥当なところだろう。それを補う意味でも、一般公開するデータとして、質問毎の単純合計に加え、せめて男女別、年代別のクロス集計が提供されているとうれしかった(教育・研究機関にはローデータまで公開。データの独り歩きを懸念する向きもあるのだろうが)。

2002年出版であり、データは2000年と多少古い。続編的に先日「日本人の意識と行動―日本版総合的社会調査JGSSによる分析」が出版されたが、高すぎるなぁ。

日本人の意識と行動―日本版総合的社会調査JGSSによる分析

日本人の意識と行動―日本版総合的社会調査JGSSによる分析

池内恵「現代アラブの社会思想―終末論とイスラーム主義」

高木徹「ドキュメント 戦争広告代理店」での解説が素晴らしかったので読んでみた*1

正直期待外れ。ストンと腹に落ちてこない。いろいろ書いてあるし、社会思想の流れも整理されてるが、「それが正しいかどうかは別として」と言いたくなるところがミソ。

現代アラブの社会思想 (講談社現代新書)

現代アラブの社会思想 (講談社現代新書)


「ざっくり」言うと、論理展開がいまいちロジカルに感じられない。また全体像が何で、個々のトピックがその中のどこに、どれだけの大きさ(メジャー/マイナー)で位置付けられるのか、がよく分からない。そのため書かれていることが正しいことだと素直に受け入れられないのだ。しかも、やろうとしたけど未熟な面があるというよりは、そこに無頓着であるとすら思える。

例えば本書ではアラブと言いつつ、主にエジプトが対象なのだが、アラブとエジプトをどこまで同一視できるのか、アラブ世界の中でエジプトがどういう位置を占めているか、それがアラブを代表させるに足りるのか、が書かれていない。そもそもエジプトを主に扱うことすら書いてない。読者は読み進めていくうちに、「あれ、エジプトの話しか出てこないな」と気付くぐらいなのだ。

もしかしたら上記についてどこかに書いてあったのかもしれないが、検証する気も起きないような読後感でした。

他の方の書評で比較的近いと感じたものを挙げておく。


日記のような:少女の交通事故死と歩道橋−P-navi info
http://0000000000.net/p-navi/info/column/200507310415.htm

*1:この本についてのエントリはこちら>http://d.hatena.ne.jp/fart/20080406/1207492130

トレードオフを念頭に置いた言説を〜橋本府政をめぐる反応

例によってやれやれ感しかないのだが。橋本府政へのメディアや関係者の発言。最低限トレードオフを意識して発言してくれよ。削減が府民へ負担を強いるってどういうこと?削減することで府民の債務負担減るんじゃないの?支出をするっていうのは(特に将来の)府民へ負担をかけることじゃないの?それとも大阪の負担を日本全国に負担させるから大阪の負担は減るよってことなのかよ?

筆者は橋本府政の内容自体には賛否判断はしてないです。念のため。

映画「YASUKUNI」をめぐる騒動は有効に活用すべき

今回の、映画「YASUKUNI」をめぐる騒動の結果、靖国問題南京事件等への関心が再び広く一般に喚起される可能性がある。この関心が、映画の中身の検証などを通じたより正確な歴史認識へ、そして騒動をめぐる各人の言説の検証を通じたメディア・リテラシーの実践へ、有効に活用されることを期待する。現時点では上映中止の是非ばかりが論じられているが、上映された暁には、より本質的な問題である、映画の中身に関して生産的な議論が行われる、んだよね?


映画「YASUKUNI」は、上映、助成金をめぐる騒動により大きな注目を浴びている。怪我の功名。映画はおそらく公開されるだろう。そしてこの騒動の結果、当初想定した以上の人が見に行くだろう。その中にはこの騒動がなければ絶対このような映画を見に行かないような、普段歴史認識の問題にとりわけ関心を持たない人も含まれているに違いない。それにより、靖国南京事件等への関心が再び広く喚起される可能性がある。チベット問題、北京オリンピックなど現在進行中の関連トピックが多いことも追い風になるだろう。


これは、日頃多くの誤解や認識不足、そしてそれに伴う不毛な論争を生んでいる、靖国問題南京事件に係る写真の真偽、南京事件そのものなどについて、より正確な歴史認識の理解を広める良いチャンスである。歴史認識問題へ通常以上の関心が向けられれば、マスメディアで改めて本問題が取り上げられる可能性は高くなる。また、映画を見た人にとっては、映画の検証の形をとることで、より興味深く、具体感をもって理解を進めることができるだろう。


また、騒動になったおかげでたくさん表に出てきた、映画製作に関わった関係者や、上映、助成金問題についての政治家、官僚、マスコミ、ジャーナリストらの立場の異なる発言は是非検証すべきである。誰がどれだけ(場合によってはある思想的偏向に基づいて)いいかげんな発言をしているのかは明らかにすべきであり、それは一般の人のメディア・リテラシー向上のための魅力的な素材になるだろう。現時点でも助成金問題に関して稲田議員と朝日新聞の意見は真っ向対立しているようだし、映画のキャストとしてクレジットされている刀匠が事前に説明されていたのとは異なる文脈で映像が使われたことに対し製作者に抗議していたりと、相反する発言が散見される。


今回おもしろいと思うのは、動画投稿サイトのおかげで、一般の人でも確認できる一次情報が増えていることだ。また、東京では放送されないような、つっこんだ議論がなされた関西系の番組も随分見ることが簡単になった。一般の人でも何が正しいのかを自身で検証する余地が広がっている。そして、それは同時にマスメディアのいい加減な報道へのけん制となっていくのだろう。

有村治子議員(自民党)質問 2008年3月27日(木) 参議院・内閣委員会

日本芸術文化振興会助成金が適正に執行されたかどうかについて、文科省担当者へ質問してます。助成基準にある政治性の有無についてなど。

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映画「靖国YASUKUNI」協力者トム岸田氏に聞く

映画製作者の「刀匠の伝統についてのドキュメンタリーを作りたい」との申し出を受け、靖国刀刀匠の刈谷直治氏を紹介した岸田氏へのインタビュー。いきさつや完成した映画を見ての心境など。

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山形浩生「要するに」

「山形道場」をはじめ、いろんなところに書かれた社会、経済ネタが主な雑文集の第2弾。


「要するに」っていうタイトルが1番、まえがきが2番で、あとはどんぐりの背比べってところだろうか。

要するに (河出文庫)

要するに (河出文庫)


山形さんの文章は嫌いじゃない。散発の論文を読んでいてハッとする場面は多々ある。だが、今回まとまったものを読んでみると思ったほどインパクトがないのだ。すでに山形さんの文章に頻繁に触れているからかもしれない、やはり雑文集という形態の限界なのかもしれない。


でも何より「要するに」の部分がぬるい、突っ込みが甘いのだ。So What? Why?のどちらの意味においても。


作者自身が本文中、またはあとがきで触れているように、これらはまだアイデアの「萌芽」なのだろう。今後これらの全体整合が取られつつ、その先へ展開される議論に期待してます(その意味では「要するに」というタイトルは誠実さに欠けるきらいが無きにしも非ずだなぁ。実際それで購入したし)


ちなみにまえがきにあるよう「要するに」の文章がなかなか出てこないのは、みんな考えることを怠けて楽をしているからなわけで。バーバラ・ミントの「考える技術・書く技術」にもある通り、「要するに」を書くってことは考えること。とりとめもないことをだらだら書く方が楽なのよ。更に加えるならば、山形さんがみんな出来てるっていう口頭での「要するに」は一見「要するに」になっているようでいて、いざ紙に落とすと「要するに」になっていない場合が多い。整合性がとれてなかったり、下位の主張の完全なサマリーになってなかったり。本当に難しいんですよ、「要するに」を考えるのは。

BRUTUS (ブルータス)−日本経済入門 2008年 4/15号

BRUTUS (ブルータス) 2008年 4/15号 [雑誌]

BRUTUS (ブルータス) 2008年 4/15号 [雑誌]


山形さんのコメントに同意、なわけですが。。。
http://cruel.org/other/rumors2008_1.html#item2008040101

コンビニで、ブルータスの最新号を見て唖然。一知半解の思いこみと卑近な(偶然の)体験のだらしない一般化、深いオリジナリティのつもりで浅はかなお題目にとらわれた連中がひたすら駄弁を弄する、いつものブルータスが見せるセンスのかけらもない醜悪な代物。目を疑った。あ、それともこれってこれってエイプリルフールってやつなの?(2008/4/1)


なぜこうなるかってことだよな。作り手は悪くないんだと。単に作り手は消費者の望んでいるものを提供しただけであって、かつ安っぽい啓蒙的な方法を取らなかったってこと、なのか?

amazonに上がってる書評も山形さんぽいですね。

高木徹「ドキュメント 戦争広告代理店」

お薦め。

いち広告代理店が、一国を崩壊に追いやることが現実に可能なこと、そしてそれがあまりにもドラマチック(劇場的)に行われることに驚きっぱなしで読み進めた。しかし、一方でおそらくこういうものなのだろうと、妙に?納得してしまうものでもある。PR活動の是非はともかくとして、こういう世界があることを知っておくべきなのだろう。

文庫版の池内恵さんの解説と同意見。読むか迷っている人は、この解説に引っ掛かるかどうかを試すのが良いかと。