村上龍「日本経済に関する7年間の疑問」

彼のメールマガジンJMMの月曜版に、1999年3月15日から2006年10月16日まで、7年半の間に掲載されたエッセイをまとめたもの。


お薦めです。


彼の問題意識は、タイトルにある「経済」そのものではありません。

「日本の金融・経済のシステムの変化は日本人の意識の変化を促すだろう。また、日本の一人一人の意識の変化が日本の金融・経済のシステムの変化を加速させることにもなるはずだ」


作家である私は「システム」と「個人の意識」の関係に興味があります。


「世界」を「日本」を自分たちの中で分離し、集団の利益に個人を従属させる日本的システム・考え方への大前提的な嫌悪がわたしにはありました。


上記について、端的かつ示唆に富む文章が目白押しです。さらにJMM読者にとっては、JMMのこれまでを総括でき、またその結果として、結局のところ彼の問題意識が変わっていないことを確認できることも価値があると思います。


多分に観念的な部分、経済学的観点から妥当性に疑問がある部分(デフレやインタゲ論の理解など)もありますが、それを補って余りある鮮やかな視点があります。小説家でしかできない仕事と読者を納得させる力があります。


違和感を持つ部分もあります。「世界」と「日本」を分けて考えることを嫌悪している、とありながら、自ら日本特殊論に陥っている感が少なくありません。本書のベースには、共同体との相互依存の関係から脱し、個を確立するべきという主張があると思われますが、これ自体が日本特殊論にありがちな、実在しえない理想論の域を出ていないように感じました。


ともあれ、いろいろ考えるきっかけに溢れている良書だと思います。


ちなみに(既存のレビューが気になったので書いておくと)本書の主題が、マスメディア論、マスメディア批判だとは思いません。あくまでも引用の通り、個人と集団の関係、それを成立させるシステムが主題です。そのシステムにおいて、マスメディアが果たしている役割に(おそらく筆者が一番身近な世界であることも一因で)ウェイトがおかれているに過ぎません。


また、マスメディアが一方的に悪いとも言っていません。変化・多様化を受け入れられず、一括りにされることで安心感を持つ層と、“国民的一体感という幻想”を容認・醸成するマスメディアとの間には、需給バランスが成り立っている。だからこそマスメディアは、自らが旧来の文脈のままであることに無自覚でいられるし、また変化のインセンティブがない、と主張しています。これもまたシステムの問題であり、我々の問題なのです。