山形浩生「要するに」
「山形道場」をはじめ、いろんなところに書かれた社会、経済ネタが主な雑文集の第2弾。
「要するに」っていうタイトルが1番、まえがきが2番で、あとはどんぐりの背比べってところだろうか。
![要するに (河出文庫) 要するに (河出文庫)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/416r9GQLzfL._SL160_.jpg)
- 作者: 山形浩生
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2008/02/04
- メディア: 文庫
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山形さんの文章は嫌いじゃない。散発の論文を読んでいてハッとする場面は多々ある。だが、今回まとまったものを読んでみると思ったほどインパクトがないのだ。すでに山形さんの文章に頻繁に触れているからかもしれない、やはり雑文集という形態の限界なのかもしれない。
でも何より「要するに」の部分がぬるい、突っ込みが甘いのだ。So What? Why?のどちらの意味においても。
作者自身が本文中、またはあとがきで触れているように、これらはまだアイデアの「萌芽」なのだろう。今後これらの全体整合が取られつつ、その先へ展開される議論に期待してます(その意味では「要するに」というタイトルは誠実さに欠けるきらいが無きにしも非ずだなぁ。実際それで購入したし)
ちなみにまえがきにあるよう「要するに」の文章がなかなか出てこないのは、みんな考えることを怠けて楽をしているからなわけで。バーバラ・ミントの「考える技術・書く技術」にもある通り、「要するに」を書くってことは考えること。とりとめもないことをだらだら書く方が楽なのよ。更に加えるならば、山形さんがみんな出来てるっていう口頭での「要するに」は一見「要するに」になっているようでいて、いざ紙に落とすと「要するに」になっていない場合が多い。整合性がとれてなかったり、下位の主張の完全なサマリーになってなかったり。本当に難しいんですよ、「要するに」を考えるのは。